サ イ ト 管 理 人 に よ る 経 過 の ま と め |
月 日 |
時 間 |
内 容 |
8月12日 |
18時12分 |
123便、羽田を離陸 |
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18時24分 |
機体後部に爆発音を聞く |
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18時25分
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高浜雅己機長が東京航空交通管制部(東京ACC)にトラブル発生を告げる |
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18時30分
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沖縄の米空軍嘉手納基地から横田基地に向かっていたC130ハーキュリーズ輸送機、123便のエマージェンシースコークをキャッチ。 |
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18時51分
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C-130で「横田基地が123便に緊急着陸の許可を出したのが聞こえた」 |
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18時56分 |
墜落推定時刻 |
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18時56分
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123便は高度9700フィート(約2950メートル)、速度300ノット(約560キロ)の表示を残して、東京ACC(運輸省航空交通管制部)のレーダー画面から消える。(墜落推定時刻) |
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18時57分 |
(C-130の)「レーダーから消えた」 |
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19時01分 |
第305飛行隊、式地豊二尉をリーダーとするF4EJ、2機が発進 |
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19時13分
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海上保安庁が米軍横田基地に確認した情報発表。「同基地の北西61キロ付近の山中で、同機らしい炎上がある。 |
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19時15分
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在日米軍C130ハーキュリーズ輸送機(アントヌッチ中尉搭乗)、雲の下に煙を発見。同機は、事故当時沖縄から横田に移動中で、伊豆上空を飛行中であった 。横田司令部の指示により、事故機の追跡(墜落現場の特定)に向かい、現場到着第1号機となる。 |
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19時19分
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C-130乗員が墜落現場発見。埼玉県・入間の航空自衛隊中央救難調整所(RCC)を経て、米軍輸送機C130からの連絡が、防衛庁空幕に入った。「1919(午後7時19分)、ラージ・ファイア。フロム・ヨコタ、305(度)、34(マイル)」、 航空自衛隊中央救難調整所(埼玉県入間市)を経て防衛庁空幕に伝わる 。 |
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19時21分
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茨城県・百里基地を緊急発進していたF4ファントム戦闘機、2機が現場上空に到着した。やはり米軍機同様、タカンによる現場位置の報告をした。いずれも長野、群馬、埼玉の三県境付近(御巣鷹の尾根もここにある)で炎を確認したものであった。 |
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19時26分 |
NHKテレビが速報を流す。 |
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19時30分
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航空幕僚監部広報室にC130の情報が入る。横田から305度、34マイル |
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19時30分
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航空自衛隊F4EJ戦闘機式地二尉からの報告「炎を確認、横田タカン(TACAN=戦術電波航法標識)から300度、32マイル」 |
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19時40分
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C-130は発見から約20分上空600メートルで旋回し正確な位置を割り出し横田基地に連絡する |
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19時45分 |
藤波官房長官が首相公邸に戻る。 |
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19時47分 |
中曽根康弘首相が軽井沢の静養先から公邸に着いた。 |
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19時45分
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運輸省が「救難対策本部」、警察庁が「日航機事故総合対策本部」を設置 |
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19時47分 |
中曽根首相が静養先の軽井沢から首相公邸に戻る。 |
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19時45分
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運輸省が「救難対策本部」、警察庁が「日航機事故総合対策本部」を設置 |
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19時50分 |
長野県警 臼田署内に「日航機墜落事故対策本部」を設置。 |
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19時50分
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長野県警 北相木村役場内に「日航機墜落事故現地指揮本部」を設置。 |
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19時50分
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長野県警 警備二課内「日航機墜落事故対策連絡本部」を設置。 |
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19時54分
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自衛隊・百里基地救難隊のV107ヘリコプター(林璋三佐機長)が救難および位置特定を目的に離陸。 |
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20時00分
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群馬県警が警備二課に「日本航空機行方不明事故対策室」を設置。 |
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20時16分
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藤波官房長官が首相と事故の対応策について協議し政府対策本部の設置を決めた。 |
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20時21分
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長野県警臼田署のパトカーから「埼玉県と群馬県境あたり(峠から見て南東の方向)に黒煙が見える」と長野県警本部に報告があった。 |
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20時30分 |
このときまでC-130は上空を旋回 |
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20時33分
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羽田空港の空港航務課に常設の「航空機救難調整本部」(本部長・是枝空港事務所長)から、航空自衛隊中部航空方面隊司令部(入間基地)に災害派遣を要請。 |
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20時35分
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藤波官房長官が政府対策本部の設置と第一回会合の開催を指示。 |
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20時40分
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日本航空が羽田のオペレーションセンター内に「対策本部」を設置。この頃、防衛庁内に対策本部が設けられた。 |
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20時42分
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航空自衛隊・百里基地から捜策に向かったV−107ヘリが、現場上空から無線連絡。「150〜200メートルにわたって山腹炎上。位置は横田タカン(横田基地内の無線航空標識名)から299度、35・5マイル」と現場位置の測定結果を知らせて来た。 |
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20時50分 |
C-130は海軍の救助隊のヘリの明かりを確認 |
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21時05分 |
ヘリは「煙と炎が濃過ぎて着陸できない」といってきた。 |
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21時06分
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朝日新聞社の取材ヘリが現場の炎を確認。このとき炎の上で超低空飛行をしている捜索ヘリも見ている。これについては一九九五年になって米海兵隊救難チームのヘリであことが判明した。 |
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21時20分
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日航、搭乗者名簿(カタカナ)を発表。羽田につめかけた家族を羽田東急ホテルへ案内。 |
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21時20分 |
司令部よりC-130及び海軍に帰還の命令が出る。 |
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21時20分
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C-130の上空900メートル上空に日本の飛行機が旋回しているのを認めた。 |
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21時25分
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日航、藤野昇運送本部長を団長とする、社員、医師、看護婦ら計85人の救助隊が、バス3台で羽田を出発。中央高速道を西へ向かうが、お盆の帰省ラッシュで、大渋滞に巻き込まれる。 |
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21時30分 |
群馬県警が「日本航空機行方不明事故対策本部」を設置。 |
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21時30分
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陸上自衛隊に災害派遣出動要請が出る。12偵察隊、13連隊情報小隊が出動。航空自衛隊熊谷基地の地上部隊先遣隊10人もこの頃出発している。 |
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21時39分
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埼玉・長野の両県警のパトカーが三国峠から西北西の方向に赤い炎を確認する。 |
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21時50分
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NHKテレビは目撃証言として北相木村・御座山(おぐらやま)に落ちたと報道。他局も長野県佐久地方の山中と報道。 |
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21時59分
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自衛隊空幕から運輸省運用課に現場の位置が「長野県北相木村御座山(おぐらやま)北斜面」との連絡が入り捜索隊の多くがこの方向に向かった。この位置は千葉県嶺岡山のレーダーから消えた位置(北緯36度02分、東経138度41分)であった。 |
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22時30分
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政府対策本部が設置される。本部長、山下運輸相。副本部長は二人の官房副長官と運輸省の政務、事務両次官。本部員に、内閣審議室長、厚生省社会局長、運輸省航空局長(代理)警察庁警備局長、総務庁交通安全対策室長、防衛庁防衛局長、自治省消防庁長官、科学技術庁原子力安全局長、国土庁防災局長 |
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22時40分
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高木日航社長が、対策本部を出て羽田東急ホテルに入った。集まった家族たちの前で、高木社長は「まだ、はっきりした状況はわかりませんが、長野県警から『落ちた』という連絡を受けました。関係者の方には、ただただ申し訳ありません」と頭を下げた。 |
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23時00分 |
首相官邸で政府対策本部の第一回会合が開かれる。 |
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23時30分
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長野県警は御座山の捜索結果から「現場は群馬県内と判断している」との見解を正式発表する。 |
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23時35分
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朝日新聞社のヘリ「ちよどり」が二度目現場に着く。「はるか下方に自衛隊機と思われるヘリ一機。青と赤のライトが点滅している。」 |
8月13日 |
00時05分 |
航空自衛隊のMU2救難機及び、V107ヘリコプターが再出動。 |
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00時15分
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朝日新聞社のヘリ「ちよどり」が引き返すことにする。二回目の計測をしたが一回目と変わらなかった。 |
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00時36分
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V-107より「入間から291度、36・1マイル」と現場位置の測定結果の連絡が入る。このとき、この機は車のヘッドライトの連なりを「ぶどう峠」と誤認し、そこからの方位と距離を測定して基地に戻った。 |
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01時00分 |
群馬県警が上野村役場に現地対策本部を設置 |
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01時05分
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日航、乗客の家族ら39人を、先発の日航救難隊が仮設した長野県小海町の現地連絡本部へ向けてバスで出発させる。以降2時15分発の6号車まで、計222人の家族らが羽田を発った。 |
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01時35分
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V-107機が持ち帰った情報を分析し、空幕は「ぶどう峠から210度、3マイルの位置。つまり長野県南相木村御座山南斜面、頂上から1キロ」と発表。 |
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02時00分
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防衛庁が「長野県南相木村御座山南斜面、頂上から1キロ」の情報を流した。(ぶどう峠から210度、3マイル) |
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03時40分
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日航救難隊の一部が社用車で北相木村に到着。「日航現地対策本部を役場内に設置。救難隊本隊(バス3台)は待機していた野辺山駅を出発。 |
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04時39分
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航空自衛隊救難ヘリKVー107が群馬県上野村の御巣鷹山近くの尾根に激突している日航機の残骸を発見。 |
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04時39分 |
墜落地点の確認 |
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04時58分 |
関東地方日の出 |
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05時05分
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東部航空方面隊第十二飛行隊のヘリ偵察によって遭難現場が確認される。 |
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05時10分
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V-107ヘリより「三国山西3キロ、扇平山北1キロ」と現場位置を通報。自衛隊立川基地からOH6型ヘリが現場を測定。「御座山東方約5キロ」と報告。 すでに日の出を迎え、山々が判別出来るはずのこの時刻に至っても両機の報告は混乱していた。
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05時30分
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役場でテレビを見ていた群馬県上野村、黒沢村長と消防団員が民放テレビ局のヘリを使った現場中継画面から「同村、本谷林道の奥」と確信。同村役場内の群馬県警現地本部に通報。 |
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05時37分
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長野県警のヘリ「やまびこ」が「御巣鷹山南南東約2キロ、県境から東方700メートルに機体散乱。現場は群馬県側」と通報。 |
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06時30分 |
自衛隊習志野駐屯地の降下専門の第一空挺団の編成を開始。 |
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07時30分
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警察庁から日航へ連絡。「遺体は群馬県側へ下ろす。検死は上野村小学校で行い、遺体の安置は藤岡市民体育館、遺族休憩所は安置場所付近に設置の予定」と。 |
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08時36分
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大阪空港から乗客家族ら536人を乗せた日航臨時便が羽田に着く。この日、バス25台、計1020人の家族と50人の日航社員を藤岡に運んだ。 |
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08時49分
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V107ヘリで第一空挺団73人が現場上空着。約1時間を要して全員リベリング(懸垂降下)。現場一番乗りを果たす。 |
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08時49分 |
陸上自衛隊の救援部隊が初めて現場に下りた |
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09時25分
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長野県警のレスキュー隊の2名ヘリ「やまびこ」より現場下2・3キロの地点に降下。水平尾翼の落下現場に到着する。 |
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09時30分
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自衛隊空挺団、無線で陸幕に対し「降下地域、目下生存者なし」と伝える。 |
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09時30分 |
上野村消防団の5分団救助隊も陸路より現場到着。 |
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10時15分
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群馬県警機動隊が上野村猟友会の案内で現場到着。本谷林道から7時過ぎに入山しているので、約3時間で着いた事になる。 |
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10時54分 |
上野村消防団と長野県警レスキュー隊合流。「生存者発見」 |
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11時00分
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自衛隊相馬原第12偵察部隊の2名が本谷林道より入山、現地着(10時45分)。消防団と合流し上方の空挺団に生存者発見を通報。 |
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11時30分 |
フジテレビ、現場より生存者救出を生中継 |
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11時30分
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北相木村より日航現地本部を藤岡市および上野村前進基地へ移動。藤岡に9時48分対策本部を置いた。 |
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13時29分 |
生存者4人の自衛隊ヘリのつり上げ収容が始まる。 |
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14時08分 |
落合由美さん(26歳)、吉崎博子さん(35歳)藤岡着。 |
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14時12分
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吉崎美紀子ちゃん(8歳)、川上慶子さん(12歳)も藤岡着4人共、多野総合病院へ収容。 |
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15時21分 |
比較的「軽傷」の川上慶子さん 国立高崎病院に移送 |