日航ジャンボ機墜落事故の概要



 1985年(昭和60年)8月12日、ボーイング747SR−100型機のJA8119号機は、日航の定期便として羽田〜千歳503便、504便、羽田〜福岡363便を経て、366便として福岡から17時12分に東京・羽田空港に到着している。18番スポットでその後の123便として大阪への飛行準備をしていた。

 乗客は夏休みを利用した家族連れやビジネスマンが目立ち、509人が搭乗していた。この中には元マネージャーの選挙応援で大阪に向かう歌手の坂本九さんや、21年ぶりのリーグ優勝を目前に控えた阪神タイガース球団社長・中埜肇さん、ハウス食品社長・浦上郁夫さん、元宝塚歌劇団の娘役で女優の北原遥子さんなどの著名人も乗り合わせていた。

 操縦席では左側の機長席には機長になるために訓練中の佐々木祐副操縦士が座り、教官の高濱雅己機長が右席に着いた。福田博航空機関士は、副操縦士席後方の定位置に着席していた。客室では12人の客室乗務員が職務についていた。

 日航123便は18時4分にスポット18から移動を開始し、滑走路15に入った。
 524人の乗客・乗員を乗せた123便は、燃料3時間15分ぶんを搭載して18時12分に羽田空港を離陸した。123便は離陸後、機首を180度(真南)に向け、1万3000フィート(3960m)まで上昇をが許可された。このあと、2万4000フィート(7315m)への上昇が承認された。管制は羽田空港進入管制部から所沢にある東京航空交通管制部に移管され、大島の北を伊豆半島の下田市方面をめざして上昇していった。

 18時24分35秒。123便は伊豆稲取港の東約4Km沖の上空にあった。事故調は「ドーンというような音」としているが、ボイスレコーダーを聞いてみると「ドドーンドンドン」と聞こえる。近くにいた生存者(落合由美さん)は「パーン」という乾いた高めの音だったと証言している。破壊音はジャンボ機の60mの胴体内を伝わっていく過程で、高音が減衰し、エコーも混じってコックピットのボイスレコーダー用のマイクに収録されていた。衝撃音に続いて「ビー、ビー、ビー」と3回ブザーが1秒間鳴っている。この警報音は客室内の気圧が1万フィート(3000m)の高さの気圧以下になったか、離陸警報が作動したかのいずれかだと考えられている。

 操縦室では機長が「ギアみてギア」といい、続いて「スコーク77(セブンセブン)」と緊急事態を意味する信号の発信を指示している。通常の訓練なら異常事態を把握して、そのときの状況で必要なら「スコーク77」を発信することになっている。それがいきなり「スコーク77」の発信指示したことは、よほど危険を感じるような振動であった可能性が高い。

 123便は相模湾上空で垂直尾翼の大半を失い、同時に油圧4系統全ても切断されて徐々に操縦ができなくなっていった。もちろん、乗員は原因について知るよしもない。焼津市上空を通過したあたりから次第にダッチロール(機首の横揺れと左右の傾き)が激しくなり、右に60度、ついで左に50度も傾いた機長は「バンクそんなにとるな」と注意するが、このときはすでにパイロットの思い通りの操縦ができなかったと推察される。

 ダッチロールによる機体の揺れで、風切り音が笛の音のように不気味に聞こえてくる。フゴイド運動(機首の上下運動)も加わり、15度から20度も機首が上向き、今度は10度から15度も機首下げの状態を繰り返した。運行乗務員の思うように上昇、降下、旋回もできず、当初、東京航空交通管制部に要求した大島経由で羽田空港に引き返すこともできない状態になっていた。123便は右に大きく旋回し、北の富士山の方向へと飛行を続けていく。

 客室では18時30分に乗客で大阪・箕面市の谷口正勝さんが「まち子 子供よろしく」と機内に備えてある紙袋に遺書を書いている。その他にも横浜市の吉村一男さん、神奈川県・藤沢市の河口博次さんも遺書を書いている。123便はこのころダッチロールと激しいフゴイド運動を繰り返している。

 操縦室では機体の操縦に次第に慣れ、左右のエンジンの操作がスムースになり、機体も安定し始めていく。このころ、乗員同士の会話では酸素マスクをつけるかどうかのやりとりがあるが、酸素マスクをつけないまま最後まで操縦を行う。乗員が酸素マスクをつけていなかったと考えられる理由は、酸素マスクをつければくぐもった声になるが、そうなっていないからである。航空機関士と客室乗務員のやりとりでは、壊れた場所の確認と酸素マスクの話に移っていく。航空機関士は日航との会社無線(カンパニー)で「アールファイブ(R5=右側5番目)のドア、ブロークン」と報告している。これが当初、事故原因だとして発表された。

 機体の調整は左右のエンジンを噴かしたり、絞ったりしながら失速しないように飛行を続けるが、機体のダッチロール、フゴイド運動に対しては、車輪を下ろすことで安定させようと試みている。一度、車輪を下ろせば油圧がないため、二度と上げることはできない。車輪が下ろされると空気抵抗が強くなり、速度が下がり、失速につながる可能性がある。それでも機体を安定させることが大事であったのだろう。失速を防ぐためにはエンジンの推力を増加させる必要がある。大きな推力を出すと、左右のエンジンのバランスが難しくなり、山梨・大月市付近では大きな旋回をすることになる。

 7000フィート(2100m)あたりまで降下すると、今度は周辺の山に気をつけねばならない。周辺には雲取山(2017m)、甲武信ヶ岳(2475m)、八ヶ岳(2899m)がそびえている。゜山にぶつかるぞ」「ライトターン」と指示を出し、「マックスパワー」と最大限に推力を上げて危機を乗り越えていく。

 操縦室からは東京航空交通管制部に何度も「操縦不能」を伝えている。羽田空港の管制も加わって123便に周波数の変更を指示するが、123便は操縦操作に追われて自分自身の位置が分らなくなっていた。羽田管制は「熊谷(埼玉県)の西、25マイルだ」と伝える。秩父山系の埼玉県大滝村あたりを飛行していた。

 123便には最期が刻一刻と近づいていた。長野県の川上村、南相木村に少し入ったところで右に旋回し、御座山をかすめて御巣鷹山方面へと向かっていく。川上村の梓山地区では農作業中の人たちが、頭上をゆっくり旋回していく123便を目撃していた。目撃者は「何か変な感じだった」と123便の飛行状況について証言している。ただ、垂直尾翼を半分以上失い、車輪を出して飛んでいるところまでは、目撃者の多くは確認していない。

 機体は速度が変動し、エンジン推力も大きく変動している。もはや、乗員による操縦操作は不可能となっていた。墜落時には速度265ノット(時速490km)で、後に「U字溝」と名付けられた尾根の木々に翼端やエンジンが接触し、水平尾翼は脱落した。この時点でボイスレコーダーの録音は終わっている。時間は「18時56分28秒」であった。

 残された機体は、北西に570m離れた谷向こうの蟻ヶ峰(神立山)の北北東にあたる無名の尾根に裏返しの状態で激突する。胴体後部が折れ、スゲノ沢に滑り落ちて行く。4人の生存者(落合由美さん、川上慶子さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さん母娘)はこの胴体後部の座席だった。事故調の認定した墜落時間は「18時56分ごろ」としている。位置は北緯35度59分54秒、東経138度41分49秒で、群馬県多野郡上野村大字楢原字本谷3577番地国有林76林班内であった。
 墜落現場は黒沢丈夫上野村村長によって「御巣鷹の尾根」と命名される。御巣鷹山の南東2Kmの地点に当たる。

 墜落時の猛烈な衝撃と火災によって、520人の犠牲者の遺体の大半は激しく損傷していた上に、猛暑という季節的な悪条件も加わって腐敗の進行も早いので、身元の特定は困難の連続だった。また、この当時はDNA鑑定技術もまだ十分には確立されていなく、地元・群馬県の医師のほか、法医学者や法歯学者などが全国から駆けつけ、冷房施設のない体育館での猛暑と腐敗臭や遺体保存用のホルマリン臭など、劣悪な環境の中、多数の人々が協力しあって人海戦術で判別作業を進めた。最終的な身元確認作業の終了にはおよそ4ヶ月間という時間と、膨大な人手を必要とした。しかし2名の乗客(うち1人はアメリカ人)の身元は遂に判明しなかった。

 事故調は、2年後の6月19日、事故報告書を当時の橋本運輸大臣に提出。事故原因について、1978年(昭和53年)6月、伊丹空港での「しりもち事故」で損傷した後部圧力隔壁のボーイング社修理チームによる修理がずさんだったため、圧力隔壁が金属疲労を起こして破壊され、急激な減圧とその時発生した衝撃波が垂直尾翼に流れ込み、JA8119号機は垂直尾翼の2/3とテールコーン(補助動力装置などが入っている)を失ってしまったとしている。
 しかし、この「圧力隔壁破壊説」には多くの矛盾が指摘され、事故から20年経っても本が出版され、航空機専門家、パイロットなど乗務員関係者、マスコミ関係者、そして遺族の方々らが真の事故原因解明を求めている。

           以上、本文は主に米田憲司著「御巣鷹の謎を追う」(宝島社刊)から引用し、
             一部サイト管理人が加筆したものです。


(事故機に関するデーター)
・機体記号 JA8119  ・型式 ボーイング747SR-100 製造年月日1974年1月30日  製造番号 20783 耐空証明 第48-028 ・総飛行時間 25,030時間18分 総着陸回数 18,835回  新規登録年月日 1974年2月19日



運輸省航空事故調査委員会による航空事故調査報告書概要
(サイト管理人・注、この事故調報告書の事故原因・・・
・・・「圧力隔壁破壊説」については多くの疑問が持たれている)

1985/08/12発生 ボーイング式747SR−100型JA8119
群馬県多野郡上野村

▼航空事故調査の経過
 航空事故の概要  日本航空株式会社所属ボーイング式747SR−100型JA8119は、昭和 60年8月12日、同社の定期123便として東京国際空港から大阪国際空港に向け て飛行中、伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かる直前の18時25分ごろ異常事態が 発生し、約30分間飛行した後18時56分ごろ、群馬県多野郡上野村山中に墜落し た。
 同機には、乗客509名(幼児12名を含む。)及び乗組員15名、計524名が 搭乗しており、520名(乗客505名、乗組員15名)が死亡し、4名(乗客)が 重傷を負った。
 同機は大破し、火災が発生した。

▼認定した事実
 飛行の経過
 日本航空株式会社(以下「日航」という。)所属ボーイング式747SR−100 型JA8119は、事故が発生した昭和60年8月12日、同社定期503便、50 4便、363便、366便として、航空機関士(363便及び366便に搭乗)を除 き事故時とは別の運航乗務員により運航された。

 同機は、366便(東京−福岡)として17時12分に東京国際空港に着陸し17 時17分に18スポットに駐機して、その後123便(東京−大阪)としての飛行準 備のための点検等が行われた。

 東京航空局東京空港事務所に提出された同機の飛行計画は、計器飛行方式、巡航速 度467ノット(真対気速度)、巡航高度24,000フィート、目的地大阪国際空港 への経路は三原、相良、シーパチ、W27、串本VORTAC、V55、信太VOR /DME、大阪NDBであり、大阪NDBまでの予定所要時間は54分、持久時間で 表された燃料搭載量は3時間15分であった。

 同機は、副操縦士の機長昇格訓練のため、機長が右操縦士席、副操縦士が左操縦士 席に位置し18時04分に18番スポットから地上滑走を開始し、その後、18時 12分滑走路15Lから離陸した(以下、付図−1及び別添3、5及び6参照)。

 同機は、24,000フィートに上昇中の18時16分55秒東京管制区管制所(以 下「東京コントロール」という。)に対し、現在位置からシーパーチ(非義務位置通 報点・大島から253度、74海里)へ直行したい旨の要求を行い、同要求はは18 時18分33秒に承認された。

 18時24分35秒、同機がシーパーチに向け巡航高度24,000フィートに到達 する直前、伊豆半島南部の東海岸上空に差し掛かるころ、「ドーン」というような音 とともに飛行の継続に重大な影響を及ぼす異常事態が発生し、その直後に機長と副操 縦士によるスコーク77(ATCトランスポンダの緊急コード番号7700の意味) との発声があり、次いで、18時25分40秒東京コントロールに対し異常事態が発 生したため22,000フィートに降下し、同高度を維持すること及び羽田(東京国際 空港)に引き返すとの要求が行われた。18時25分40秒同機から大島へのレーダ 誘導の要請があり、これに対し東京コントロールは羽田への変針は右旋回か左旋回か との問い合わせを行ったところ、同機から右旋回を行うとの回答があったので、東京 コントロールは同機に対し大島へのレーダ誘導のため右旋回で針路90度で飛行せよ との指示を発出し、同機は18時25分52秒これを了承した。同機はその後、伊豆 半島南部の中央付近で若干右へ変針し西北西に向かって伊豆半島を横切り駿河湾上に 出たが、このころから同機には顕著なフゴイド及びダッチロール運動が励起され、こ れら減少はその後強弱に変化しながらも墜落直前まで続いた。18時27分02秒東 京コントロールは同機に対し緊急状態宣言の確認を行い、次いで「どのような緊急状 態か。」との問い合わせを行ったが同機からの応答はなかった。18時28分31秒、 東京コントロールは同機に対し、再度「大島へのレーダ誘導のため、針路90度で飛 行せよ。」と指示したが、これに対し、18時28分35秒同機から「現在、操縦不 能」との回答があった。

 同機は、駿河湾を横切り18時30分ごろ静岡県焼津市の北付近の上空を通過した 後、18時31分ごろ右へ変針して北上を始めた。このころ東京コントロールが、同 機に対し「降下可能か。」と問い合わせを行ったところ18時31分07秒同機から 「現在降下中」との回答があり、次いで、現在高度を問い合わせたところ現在高度は 24,000フィートとの回答があった。18時31分14秒東京コントロールが「現 在位置は、名古屋空港から72海里の地点、名古屋に着陸できるか。」との問い合わ せを行ったところ同機からは「羽田に帰ることを要求する。」との回答があった。

 18時31分26秒東京コントロールは同機に対し、今後は日本語で交信してもよ い旨を伝え同機はこれを了承した。

 18時35分ごろ、同機は富士山の西方約35キロメートルの地点付近の高度23, 000フィートで右へ変針して東へ向かい、その後18時38分ごろ、富士山の北北 西7キロメートル付近から左へ変針して北東に向かって飛行し、次いで18時41分 ごろ山梨県大月市付近の高度21,000フィートから、約3分間でほぼ360度右へ 変針するとともに高度17,000フィートまで降下した。その後の同機は東に向かっ て急速に降下をしながら飛行し、18時45分46秒同機から羽田へのレーダ誘導の 要請があり、これに対し東京コントロールは「羽田の滑走路は22なので針路90度 をキープして下さい。」との指示を行い、同機はこれを了承した。次いで18時47 分17秒東京コントロールからの「操縦できるか。」との問い合わせに対し「操縦不 能」の送信があった。18時48分ごろ、高度約7,000フィートで同機は東京都西 多摩郡奥多摩町付近上空から左へ変針し西北西に向かって徐々に上昇しながら飛行し、 18時53分ごろ高度約13,000フィートに達した後再び降下を始め18時53分 31秒「操縦不能」を再度送信した。18時54分19秒同機は高度約11,000フ ィートで東京コントロールの指示により東京進入管制所(以下「東京アプローチ」と いう。)に交信を切り換えた後18時54分25秒同機から「現在位置を知らせ。」 との要求があり、これに対し東京アプローチは羽田の北西55海里、熊谷の西25海 里の地点を伝達したところ18時54分55秒同機はこれを了承した。次いで東京ア プローチは18時55分05秒羽田も横田も受け入れ可能である旨を送信し同機はこ れを了承した。その後は東京アプローチ及び横田進入管制所からの呼びかけに対する 同機からの応答はなかった。墜落地点の南南西3〜4キロメートルの地点での目撃者 (4名)によれば、「同機は東南東の奥多摩の方向からかなりの低高度、低速度で機 首をやや上げて大きな爆音をたてながら飛んできた。飛行機は、我々の頭上を通過し たがその後北西にある扇平山(標高1,700メートル)の付近で急に右へ変針し東北 東の三国山(標高1,828メートル)の方向へ飛行した。次いで、三国山を越えたと 思われるところで突然、左へ傾き北西方向へ急降下し、山の陰に見えなくなった。そ の後、同機が隠れた山陰から白煙と閃光が見えた。」とのことであった。

 同機は三国山の北北西1.4キロメートルの稜線(標高1,530メートル、付図− 13の一本から松の地点)にある数本の樹木に接触し、次いで同地点の西北西約52 0メートルの稜線(標高約1,610メートル、付図13のU字溝の地点)に接触した 後、同地点から更に北西約570メートルにある稜線に墜落した。墜落地点は群馬、 長野、埼玉の3県の県境に位置する三国山の北北西約2.5キロメートルにある尾根 (標高約1,565メートル、北緯35度59分54秒、東経138度41分49秒) であった。  推定墜落時刻は、18時56分ごろであった。

▼結 論

▼解析の要約

 ・一般事項  運航乗務員は、適法な資格を有し、所定の航空身体検査に合格していた。  当時の気象は、異常事態発生に直接関連はなかったものと認められる。  航空保安施設及び航空交通管制機関の機能及び運用状況は正常であったと認められ る。
 同機は有効な耐空証明を有し、所定の整備点検が行われていた。

 ・異常事態発生までの事故機の飛行
 事故機は昭和60年8月12日、定期便として4回の飛行を行った後、123便と して18時12分東京国際空港を離陸した。当日の4回の飛行及びその間に行われた 点検整備(123便としての飛行前点検を含む。)において、今回の事故と関連があ るとみられるような異常及び不具合報告はなかった。
 離陸後約12分を経過した18時234分35秒ごろ、飛行の継続に重大な影響を 及ぼすような異常事態が発生したが、それまでの飛行は正常なものであったと考えら れる。

 ・大阪国際空港における事故による損傷の修理
 事故機の構造の修理作業を日航がボーイング社に委託したことは、同機がボーイン グ社によって制作されたこと等からみて、妥当なことであったと認められる。
 日航とボーイング社との間で合意された修理に関する全体計画は、ほぼ妥当なもの であったと考えられる。  修理計画に従って、事故によって変形した後部圧力隔壁下半部を機体から外し、新 規の後部圧力隔壁下半部の取付作業を進めたところ、隔壁の上半部と下半部のウエブ 合わせ面(L18接続部)において、リベット孔回りのエッジ・マージンが構造修理 マニュアルに記載された値より不足する箇所のあることが発見された。これは、修理 作業において、後部胴体の変形等に対する配慮がやや不足していたことにより生じた 可能性も考えられる。
 これに対して後部圧力隔壁上半部と下半部との間にスプライス・プレートを一枚は さんで接続するという適切と考えられる修正措置がとられることになったが、実際の 修正作業では一枚のスプライス・プレートのかわりに修正指示より幅の狭い一枚のス プライス・プレートと一枚のフィラが用いられ、前述の修正措置とは異なった不適切 な作業となった。
 修理作業の際の検査及び修理後の検査では、前述の不適切な作業部分を目視検査で 見い出すことはできなかった。  今回の修理作業では、作業工程における検査を含む作業管理方法の一部に適切さに 欠ける点があったと考える。
 このような修理によって、本来2列リベットで結合されるべきL18接続部の一部 が1列リベットで結合されることになり、この部分に強度は本来の接続方法によった 場合に比べて70パーセント程度に低下し、この部分は疲労亀裂が発生しやすい状態 になったものと推定される。
 このことから、この時点において事故機の後部圧力隔壁は、フェール・セーフ性に 欠けたものになったと考えられる。

 ・ボーイング式747型機のフェール・セーフ性について
 ボーイング式747型機のフェール・セーフ設計は、当時の米国連邦航空局の輸送 機の耐空性に関する基準に従って設計されている。  耐空性に関する規定は、航空機が備えるべき特性についての要求の最低限を示した ものであるが、ほとんどあり得ないような事態、あるいは不適切な作業等によって生 じるような事態に対してまでも耐空性を保証するものではないと考えられる。  今回の事故のように損壊が連鎖的に進行したことは、同機の開発当時のフェール・ セーフ設計とその後の運用実績を取り入れた点検整備は規定に適合した妥当なもので あったが、かかる事態の発生を阻止するための配慮まではされていなかったものと考 えられる。

 ・その後の事故機の運航及び整備の状況
 昭和53年6月の大阪国際空港における事故による損傷の修理後、今回の事故に至 るまでの間の同機の飛行時間は約16,196時間、飛行回数(着陸回数)は12,3 19回であった。  この間に後部圧力隔壁のL18接続部には、1列リベット結合部分を主として多数 の疲労亀裂が発生進展していた。
 この間の飛行で、今回の事故と関連があるとみられるような異常及び不具合はなか ったものと考えられる。
 この間、同機について6回のC整備(3,000時間毎の整備)が行われ、その際に 後部圧力隔壁の目視点検も行われたが、L18接続部のリベット結合部に発生してい た疲労亀裂は発見されなかった。
 後部圧力隔壁のC整備時の点検方法は、隔壁が正規に制作されている場合、また、 その修理が適正に行われた場合には当該C整備の時点では疲労亀裂がこの部位に多数 発生するとは考えられないので、妥当な点検方法であると考えられる。
 しかしながら、今回のように不適切な修理作業の結果ではあるが、後部圧力隔壁の 損壊に至るような疲労亀裂が発見されなかったことは、点検方法に十分とはいえない 点があったためと考えられる。

 ・異常事態の概要
 事故機に生じた異常事態の状況は、以下のようなものであったと考えられる。
 18時24分35秒ごろ、同機が高度24,000フィートまで上昇した際に、与圧 された客室圧力と外気圧との差圧は約8.66psiとなった。後部圧力隔壁のL18 接続部のベイ2の部分は疲労亀裂の進展により残留強度が著しく低下していたので、 その差圧に耐えられず破断し、これを契機としてL18接続部は一気に全面破断した ものと推定される。
 その後、破断は隔壁中央部においてはコレクタ・リングに沿って上向きに進み、更 にR6スティフナ及びL2スティフナに沿って上方に進行したものと考えられる。一 方、隔壁外周部に置いては、破断はYコードに沿って上方に進んだものと考えられる。
 このように破断が進行した結果、後部圧力隔壁の上半部のウエブの一部が客室与圧 空気圧によって後方に吹き上げられ開口した。開口面積は2〜3平方メートル程度と 推定される。
 後部圧力隔壁の開口部から流出した客室与圧空気によって尾部胴体の内圧は上昇し、 APU防火壁が破壊されその後方に位置するAPU本体を含む胴体尾部構造の一部の 破壊・脱落が生じたものと推定される。
 APU防火壁の破壊の直後又はその破壊とほぼ同時に垂直尾翼の破壊が始まったも のと考えられる。  胴体尾部に流出した客室与圧空気の一部が垂直尾翼アフト・トルクボックス下部の 開口部から垂直尾翼内に流れ込み、垂直尾翼の内部圧力が上昇し、アフト・トルクボ ックスの上半部のストリンガとリブ・コードの取付部がまず破壊したものと推定され る。その後アフト・トルクボックスの内部構造の破壊、外板の剥離が生じ、フォワー ド・トルクボックス上半部、アフト・トルクボックスの大半、翼端カバー等の脱落に 至ったものと考えられる。  垂直尾翼のアフト・トルクボックスが損壊したため方向舵は脱落し、また4系統の 方向舵操縦系油圧配管もすべて破断したものと推定される。  このような同機の破壊は、数秒程度の短時間のうちに進行したものと推定される。

 後部圧力隔壁が開口したため、操縦室を含む客室与圧は数秒間で大気圧まで減圧し たものと推定される。
 前述した機体の破壊によって、方向舵・昇降舵による操縦機能、水平安定板のトリ ム変更機能は異常事態発生直後に失われたものと推定される。また、補助翼、スポイ ラによる操縦機能及び油圧によるフラップと脚の操作機能は異常事態発生後1.0〜1. 5分の間に失われたものと推定される。  ほとんどの操縦機能が失われたこと及び横・方向の安定性が極度に劣化したために、 同機では姿勢・方向の維持、上昇・降下・旋回等の操縦が極度に困難な状況になった ものと推定される。
 同機では激しいフゴイド運動、ダッチロール運動が生じ、その抑制が難しい状態に なったものと推定される。
 同機は不安定な状態での飛行の継続はできたが機長の意図どおり飛行させるのは困 難で、安全に着陸・着水することはほとんど不可能な状態であったものと考えられる。

 ・異常事態発生後の事故機の飛行と運航乗務員の対応
 なんらかの異常の発生を運航乗務員は直ちに知ったが、垂直尾翼の破壊、方向舵の 脱落というような損壊の詳細については、その後も知り得なかったものと推定される。
 異常事態発生後間もなく、運航乗務員は機内の減圧を知り得たものと考えられる。 運航乗務員は最後まで酸素マスクを着用しなかったものと推定されるが、その理由を 明らかにすることはできなかった。
 異常事態発生後、同機は緊急降下に入ることなく20,000フィート以上の高度で 激しいフゴイド運動、ダッチロール運動を行いながら約18分間飛行した。この間運 航乗務員が緊急降下の意向を示しているのに緊急降下を行わなかったのは、飛行姿勢 の安定のための操作に専念していたためとも考えられるが、その理由を明らかにする ことはできなかった。
 また、この間に運航乗務員は低酸素症にかかり、知的作業能力、行動力がある程度 低下したものと考えられる。  同機は脚下げ後の降下に移った時点でフゴイド運動もおさまったが、高度約7,00 0フィートまで降下した頃に山岳に近づいたことに気付き、直ちにエンジン出力をあ げたところ、再び激しいフゴイド運動及びダッチロール運動を伴う不安定な飛行状態 に陥ったものと考えられる。
 異常事態発生後の運航乗務員は、教育・訓練及び知識・経験の範囲外にある異常事 態に陥ったために、また異常事態の内容を十分に把握できなかったために、さらに機 体の激しい運動と減圧という厳しい状況に置かれていたために、その対応について判 断できないまま飛行を安定させるために専念したものと考えられる。

 ・事故機の墜落
 不安定な飛行状態にあった同機は、墜落地点手前の一本から松及びU字溝に接触し、 残っていた垂直尾翼、水平尾翼及びエンジン等はこの時点で機体から分離したものと 推定される。
 その後、同機は機首及び右主翼を下に向けた姿勢で、墜落地点に衝突したものと推 定される。墜落時刻はDFDR記録及び地震計記録等から18時56分30秒ごろと 推定される。
 墜落時の強い衝撃で、前部胴体、右主翼は圧壊し、小破片に分断され飛散した。後 部胴体は墜落時の衝撃を受けて分離し、稜線を越えてスゲノ沢第3支流に落下したも のと推定される。その他の部分は墜落地点を含む広い範囲に飛散した。
 燃料タンクから飛散したと思われる燃料が炎上し、(H)付近に散乱した残骸等が 焼損した。

 ・乗客・乗組員の死傷  前部胴体・中部胴体内にいた乗客・乗組員は、墜落時の数百Gと考えられる強い衝 撃及び前部・中部胴体構造の全面的な破壊によって、全員即死したものと考えられる。
 後部胴体内にいた乗客・客室乗務員のうち、前方座席の者は墜落時の100Gを超 える強い衝撃で、ほとんどが即死に近い状況であったと考えられる。
 後方座席の者が受けた墜落時の衝撃は数十G程度の大きさであり、これによってほ とんどが致命的な傷害を受けたものと考えられる。なお、墜落時の衝撃で客室の床、 座席、ギャレイ等がすべて破壊・飛散したため、これらと衝突して強度の打撲、圧迫 を受けて傷害の程度を深めた可能性が大きいと考えられる。
 本事故における生存者は4名であり、いずれも重傷を負った。4名とも後部胴体の 後方に着座しており、数十G程度の衝撃を受けたものと考えられるが、衝突時の着座 姿勢、ベルトの締め方、座席の損壊、人体に接した周囲の物体の状況等が衝撃を和ら げる状態であり、胴体内部の飛散物との衝突という災害を受けることが少なかったこ ともあって奇跡的に生還し得たものと考えられる。

 ・事故機の飛行に対する地上からの支援
 管制・通信による事故機への情報の提供及び同機からの要請についての対応は、お おむね適切に行われたものと考えられる。

 ・捜索・救難活動
 墜落地点は登山道がなく、落石の危険が多い山岳地域であり、夜間の捜索というこ ともあったため、機体の発見及び墜落地点の確認までに時間を要したことはやむを得 なかったものと考えられる。
 救難活動は困難を極めたが、活動に参加した各機関の協力によって最善を尽くして 行われたものと認められる。

▼原 因

 本事故は、事故機の後部圧力隔壁が損壊し、引き続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦 系統の損壊が生じ、飛行性の低下と主操縦機能の喪失をきたしたために生じたものと 推定される。
 飛行中に後部圧力隔壁が損壊したのは、同隔壁ウエブ接続部で進展していた疲労亀 裂によって同隔壁の強度が低下し、飛行中の客室与圧に耐えられなくなったことによ るものと推定される。
 疲労亀裂の発生、進展は、昭和53年に行われた同隔壁の不適切な修理に起因して おり、それが同隔壁の損壊に至るまでに進展したことには同亀裂が点検整備で発見さ れなかったことも関与しているものと推定される。

▼所 見

 事故機に搭載されていたDFDRの記録用磁気テープには、破断、ねじれ、折れ 曲]がり等が認められたので、同装置の対衝撃性の一層の向上を図ることが望ましい
 事故機に搭載されていたCVRには、約32分16秒の音声が記録されていたが、 既に消去されてしまった部分に事故調査の参考となる記録があったことも考えられる。 また、当該CVRは規格(TSO C−84)に適合した製品であるが、聴取が困難 な部分が見受けられた。
 これらのことから、音声記録時間の延長とCVRを含むシステムの改善による音声 記録の明瞭度の向上についての検討を進めることが望ましい。
 緊急事態における捜索・救難活動を迅速かつ効果的に進めるために、既に関係機関 の間で締結されている協定に関して、今後とも定期的な訓練の実施等によって捜索・ 救難活動能力の一層の向上を図ることが望ましい。

▼建 議

◇日本航空株式会社所属ボーイング式747SR−100型JA8119の航空事故に係る建議 (1987.6.19建議) (JA8119 群馬県多野郡上野村 S60.8.12 発生事故) 1.緊急又は異常な事態における乗組員の対応能力を高めるための方策を検討すること。
 特殊な緊急又は異常な事態あるいは同時に複数の緊急又は異常な事態が生じる場合 においては、今回のJA8119の事故におけるように、乗組員が事態の内容を十分には把 握できず、また、どのように対応するかの判断を下すのが困難なことが考えられる。
 このような場合における乗組員の対応能力を高めるための方策について、検討する 必要がある。 2.航空機の整備技術の向上に資するため、目視点検による亀裂の発見に関し検討する こと。
 航空機の構造に生じた亀裂の発見は、目視点検により行われる場合が多いが、目視 点検によってどの程度の亀裂を発見できるかについては、現在十分な資料がない状況 である。
 我が国で運航している輸送機について、目視点検による亀裂の発見に関する資料の 収集・分析を行い、航空機の整備技術の向上に資する必要がある。

▼勧 告

◇航空機の耐空性確保に関する勧告(1987.6.19勧告) (JA8119 群馬県多野郡上野村山中 S60.8.12発生事故)
1.航空事故による損傷の復旧修理等において、航空機の主要構造部材の変更等大規模 な修理が当該航空機の製造工場以外の場所で実施される場合には、修理を行う者に対 して、修理作業の計画及び作業管理を、状況に応じ特に慎重に行うよう、指導の徹底 を図ること。
2.航空事故による損傷の復旧修理等において、航空機の主要構造部材の変更等大規 模な修理が行われた場合には、航空機の使用者に対して、必要に応じ、その部位につ いて特別の点検項目を設け継続監視するよう、指導の徹底を図ること。
3.今回の事 故では、後部圧力隔壁の損壊により流出した与圧空気によって、尾部胴体・垂直尾翼 ・操縦系統の損壊が連鎖的に発生したが、このような事態の再発防止を図るため、大 型機の後部圧力隔壁等の与圧構造部位の損壊後における周辺構造・機能システム等の フェール・セーフ性に関する規定を、耐空性基準に追加することについて検討するこ と。

▼参考事項

 本事故に関連し、昭和62年5月末までに各関係機関、航空機製造会社及び運航会 社により講じられた措置等は次のとおりである。

◇米国国家安全委員会(NTSB)は、米国連邦航空局(FAA)に対し次の勧告を  行った。

(ア) 尾翼部の設計変更(勧告番号A−85−133、1985年12月5日)   通常与圧されていない尾翼内部に急激な圧力が加わった場合にもボーイング式7 47及び767型機の尾翼部が致命的な破壊に至らないような対策を取ること。
(イ) 油圧系統の設計変更(勧告番号A−85−134、1985年12月5日)   通常与圧されていない尾翼内部に急激な圧力が加わった場合にもボーイング式7 47型機の4系統あるすべての油圧系統が損傷しないように設計変更及び改修を 行うこと。
(ウ) ドーム型後部圧力隔壁のフェール・セーフの再評価(勧告番号A−85−13 5、1985年12月5日)
  ボーイング式747及び767型機の後部圧力隔壁の設計を再評価するととも に、試験によりフェール・セーフ機能の確認を行うこと。
(エ) 後部圧力隔壁の修理方法の再評価(勧告番号A−85−136、1985年1 2月5日)     ボーイング式747及び767型機の後部圧力隔壁の現行の修理方法を再評価 し、その修理方法がフェール・セーフ性を損なわないことを確認すること。
(オ) 後部圧力隔壁の検査プログラムの変更(勧告番号A−85−137、1985 年12月5日)
 後部圧力隔壁について、多箇所同時進行型の疲労亀裂の進行の度合を確認でき るような、通常の目視点検より高度な点検プログラムを設定すること。
(カ) ドーム型後部圧力隔壁のフェール・セーフ性の再評価(勧告番号A−85−1 38、1985年12月13日)
 すべての定期運送用航空機のドーム型後部圧力隔壁について、フェール・セー フ基準に適合していることを確認すること。
(キ) ドーム型後部圧力隔壁の修理方法の再評価(勧告番号A−85−139、19 85年12月13日)     ドーム型後部圧力隔壁を持つすべての航空機について、隔壁の修理方法を再評 価し、隔壁のフェール・セーフ性を損なっていないことを確認すること。
(ク) 修理に関する技術承認者へのブレティンの発行(勧告番号A−85−140、 1985年12月13日)
 修理に係わる技術的な承認について責任を有する者にメインテナンス・アラー ト・ブレティンを発行し、修理の承認に際しては終局的な破壊モードあるいはそ の他のフェール・セーフ設計基準に対する影響の可能性を考慮するよう指示する こと。

◇FAAは米国のボーイング式747型機の運航会社及びボーイング社に対して、下記の改修及び点検等を命じた。

(ア) 垂直尾翼点検孔へのカバー装着(命令番号AD86−08−2,1986年4 月4日)(*1)
 尾部への異常に高い内圧による尾部構造の破壊を防止するため、6ヶ月以内に 垂直尾翼の点検孔にカバーを装着する(A85−133関連)。
  (*1)ADはAirworthiness Directive(耐空性改善命令)の略称である。
(イ) ドーム型後部圧力隔壁のフェール・セーフ性の再評価
  ボーイング社に対し、747及び767型機の後部圧力隔壁のフェール・セーフ 性に係わる設計の再評価及びテストを要求した(A85−135関連)。
(ウ) ドーム型後部圧力隔壁の修理方法の再評価(命令番号AD85−22−12、 1985年10月25日)
 ボーイング式747型機の後部圧力隔壁の修理が実施されているか否かの点検 及びその結果のボーイング社への報告を要求した。
 なお、FAAはボーイング社発行の707、737,747及び767型機の 後部圧力隔壁の修理マニュアルの再評価の結果を見直したが、問題はなかった (A85−136関連)。
(エ) ドーム型後部圧力隔壁のフェール・セーフ基準の再評価
  FAA内のTACD(Transport airplane Certification Directorate)は、 主要航空機製造会社とNTSB勧告に係わる検討チームを結成し、最大タクシー 重量75,000ポンドを超える大型航空機の再評価を行っている。これらの再 評価を通じて、SID(AC91−51)における検査手順の変更及び追加を行 った。     また、損傷許容設計についても再評価を行っている(A−85−138関連)。
(オ) ドーム型後部圧力隔壁の修理方法の再評価
 1985年12月12日付けレターにより、大型輸送機製造会社に対し、ドー ム型後部圧力隔壁の修理基準の再評価を実施した(A−85−139関連)。
(カ) 技術スタッフへのメモランダムの発行
 1986年6月3日、各ACO(Aircraft Certification Office)に所属す る技術スタッフに対し、航空機の重要な主要構造の修理に関するメモランダムを 発行した(A−85−140関連)。
(キ) 油圧系統の改修
 1985年9月から、ボーイング式747型機の大規模な構造破壊に伴う油圧 系統の機能損失を防ぐために必要な改修方法について、ボーイング社と検討を 始めた。この作業はまだ継続中であるが、No.4油圧系統が垂直安定板へ入 る上流にフューズを装着することにより、昇降舵、補助翼及びスポイラの機能 を確保できるものと考えられている。既にボーイング社はNo.4油圧系統へ フューズを装着するサービス・ブレティン(SB)を発行しており、FAAは このSBを命令とする予定である(A−85−134関連)。

◇ボーイング社は次のようなSBを発行するとともに、新造機に対する設計変更、試  験等を行った。

(ア) 垂直尾翼点検孔へのカバー装着(SB747−53A−2264、1985年 11月25日)
  現有機に対し、垂直尾翼点検孔へのカバー装着を要求した。新造機は、626号 機(1985年12月11日引渡し)以降カバー装着を開始した(A−85−1 33関連)。
(イ) 油圧系統の改修(SB747−29−2063、1986年12月23日)
  現有機に対し、No.4油圧系統が垂直安定板へ入る上流にフューズ装着を要求 した。新造機は、663号機(1986年12月23日引渡し)以降No.4油 圧系統へのフューズ装着を開始した。    また、1988年1月ごろ引き渡し予定の新造機696号機以降はBS148 0から2460の間の油圧系統の配管位置を変更することになっている。なお、 現有機の油圧配管の変更は技術的に極めて複雑であるためにSBの発行は見合わ せ、運航会社から要求があった場合、個別に応ずることとした(A−85−13 4関連)。
(ウ) ボーイング式747及び767型機の後部圧力隔壁のフェール・セーフ性の再 評価
  現設計の後部圧力隔壁の疲労試験及び損傷許容試験を1986年3月、強化型 後部圧力隔壁の同試験を1986年7月に完了した(A−85−135及び13 8関連)。
(エ) 後部圧力隔壁の修理方法の再評価
  1985年8月29日、電報により修理が実施されているか否かの点検と修理 の詳細の報告を求めた。(A−85−136及びAD85−22−12関連)。
(オ) 強化型後部圧力隔壁の開発
  1987年2月に引き渡された新造機672号機から、強化型後部圧力隔壁を 取り付けた。この隔壁は、従来型隔壁に2本のティア・ストラップを追加し、隔 壁の中央部にカバー・プレート、APU切り欠き付近の隔壁両面にタブラを追加 したものである(A−85−135関連)。
(カ) 後部圧力隔壁の検査プログラムの変更(SB747−53−2275、198 7年3月26日関連)。
  1,00飛行サイクル(貨物機)又は2,000飛行サイクル(旅客機)間隔での 後面からの目視検査及び20,000飛行サイクルの後2,000飛行サイクル(貨 物機)又は4,000飛行サイクル(旅客機)間隔で精度の高い渦電流、超音波及 びX線による詳細な検査を行うよう要求した。
 747SR型機の目視点検は2,400飛行サイクルごと、渦電流等による詳細   な点検は24,000飛行サイクルの後4,800飛行サイクル間隔で実施するよ う要求した(A−85−137関連)。

◇運輸省航空局は、ボーイング式747型機の安全の確保及び航空機捜索救難体制の  強化のため、次の措置を講じた。

(ア) 垂直安定板及び方向舵の一斉点検の指示(耐空性改善通報TCD−2483−    85、昭和60年8月15日)
(イ) 胴体与圧室後部構造の一斉点検の指示(耐空性改善通報TCD−2483−1 −85、昭和60年8月17日)
(ウ) 後部圧力隔壁の修理方法を再評価するため、ボーイング式747型機を運航す る航空会社に対し、実施した後部圧力隔壁に係る修理報告を航空局及びボーイン グ社へ提出するよう求めた(昭和60年9月4日付け空検第747号並びにA− 85−136及びAD85−22−12関連)。
(エ) 日航整備部門へ立入検査を実施し、この結果に基づき同社に対し安全運航確保 のための業務改善を勧告(昭和60年9月5日)
 (1) ボーイング式747SR型機について、18,000与圧飛行回数以内をめ どとして胴体与圧構造の総点検を行うこと。
 (2) ボーイング式747型機の機体構造の点検を強化するため、C整備等の点検 要目を見直すとともに、機体構造の点検作業に用いる作業カードを改善するこ と。
 (3) 事故等により損傷を受けた機体構造について、長期監視プログラムを設定す ること。
 (4) ボーイング式747型機の機体構造のサンプリング点検の方法を見直すとと もに、サンプリング点検結果の技術評価の方法を改善すること。また、主要 故障の再発防止対策の促進を図ること。
 (5) 技術企画部門から整備実施部門への指示の徹底を図ること。
 (6) 機体構造の点検整備体制及び総合安全推進体制の強化を図ること。 (オ) 業務改善勧告に基づき実施された日航ボーイング式747SR型機の胴体与圧 室構造の総点検の結果をFAAへ通報し、同型機の安全を確保するための改善 措置を要請(昭和60年11月5日/12月10日)。
(カ) 与圧隔壁後方の機体尾部への与圧空気流入による尾翼構造の破壊を防止するた    め、垂直尾翼点検孔にカバーの装着を指示(耐空性改善通報TCD−2611− 86、昭和61年5月7日、A−85−133関連)。
(キ) ボーイング式747SR型機の経年変化対策として、SID項目を整備規程中 に定めるよう指示(耐空性改善通報TCD−2636−86、昭和61年10月 13日)。
(ク) 昭和61年夏までに救難調整本部の置かれている東京空港事務所の施設及び関 係機関相互の通信回線網を整備するとともに要員の増員を行った。また、昭和     25年8月1日、運輸省航空局と関係機関との合同訓練を実施した。

◇日航は、次の改善措置、対策等を実施又は予定している。

(ア) 垂直尾翼の設計変更(耐空性改善通報TCD−2611−86、AD86−0 8−02及びAD85−133関連)
  すべての現有のボーイング式747型機に対し、昭和60年12月31日まで に垂直尾翼点検孔にカバーを装着した。JA8169のボーイング式747型機 には、新造時から装着される。
(イ) 油圧系統の改修   昭和62年5月末までに、4機の現有機についてNo.4油圧系統へのフュー ズ装着を完了した。
  他の現有機は、昭和63年3月末までにフューズ装着を完了する予定であり、 JA8178以降のボーイング式747型機には、新造時から装着される
 (A−85−134関連)。
(ウ) ドーム型後部圧力隔壁の修理方法の再評価
  すべての現有機について修理の有無及び修理状況の検査を行い、航空局及びボ ーイング社へ報告した(A−85−136及び139、AD85−22−12、 ボーイング社電報並びに航空局文書空検第747号関連)。
(エ) 後部圧力隔壁の検査プログラムの変更
  ボーイング式747S型機の総点検において、6機について渦電流検査を実施し   た(亀裂は発見されていない。)(A−85−137関連)。

公表年月日/報告書番号
 昭和62年6月19日 航空事故調査報告書 62−2






HOMEへ